SNS世代の若者よ起て― のちの香港民主主義活動に影響を与えた「雨傘活動」

SNS世代の若者よ起て― のちの香港民主主義活動に影響を与えた「雨傘活動」

2014年9月、香港で学生を中心に10万人以上の市民が直接選挙を求め、中国政府に対する大規模な抗議デモを行いました。これを鎮圧しようと香港警察は催涙弾を使い、人々がこれをよけるために盾として使ったのが雨傘であったため、これら一連のムーブメントは「雨傘活動」と呼ばれました。のちに香港の民主主義化への動きを活発化させることになったこの雨傘活動について紹介します。

香港の返還と「一国二制度」

今から20年前の1997年7月。長きにわたり英国の統治下に置かれていた香港が中国に返還されました。中国は共産党政府による社会主義国家ですが、英国に統治されていた香港は資本主義。中国政府は「返還後50年間(2047年まで)は香港の資本主義体制を認める」という約束をしました。これが「一国二制度」と呼ばれるものです。また、将来は香港の有権者に1人1票の投票権を与え、直接選挙を導入するという約束も憲法に織り込まれました。中国の一部が資本主義になる―。英国の香港総督が船で華々しく引き上げていく姿に「香港の資本主義が本土にも影響を与え、中国の民主化が進むのではないか」という期待を抱いた人も大勢いたことでしょう。

中国政府の圧力、危ぶまれる民主主義

しかし民主化に希望を持つ人々の願いと裏腹に、中国政府の圧力は徐々に高まります。香港の議会である立法会の議員は「間接選挙」という方式が取られ、政治を司る香港行政長官の選挙で投票が認められているのは1200人の選挙委員と呼ばれる人々。しかしこれら選挙委員の7割が親中派と言われていました。このような中2014年8月31日、中国側は制度改革という名のもとで、直接投票を認める仕組みを認めましたが、その内容は事実上、親中派しか立候補できない選挙制度でした。中国政府が色濃く介入した制度改革に、市民の不満は高まります。2014年9月26日、大学生や中高生といった若者たちが、授業のボイコットや香港政府総本部前での座り込みを行ったため、香港警察が催涙スプレーやコショウのスプレーを使って強制排除に乗り出しました。若者たちは決して武器を持たず、催涙ガスから身を守るために、傘だけをかかげて無抵抗な姿勢のままデモを続けました。公民広場を閉鎖した警察隊と、対峙する無数の雨傘は非常に印象的で、これが一連の動きを雨傘活動と呼ぶことになるゆえんです。

十代の若者がリーダーとなった雨傘活動

行政長官事務所前で演説する黄之鋒氏

雨傘活動の中心的人物の一人が、当時17歳の黄之鋒(ジョシュア・ウォン)氏です。黄氏は、中学校に入学すると同時に学生運動組織「学民思潮」を立ち上げ、2012年に香港政府が打ち出した、中国への愛国心を育てようという思想教育に反発し抗議デモを実施。香港中心部で中高生12万人を動員し、制度導入を事実上撤回させるに至った学生リーダーの一人です。黄氏は雨傘活動でも、17歳でありながら学生たちの精神的支柱となりました。1989年の天安門事件も、学生が広場を占拠しようとした点では共通していますが、雨傘活動では、ブログを使い自分たちの正当性を主張したり、警察隊から辛子スプレーをかけられている映像を撮影し開示することで世論を味方につけたりするなど、誰もがSNSで瞬時に情報発信できる時代の若者ならではの行動であると言えます。9月28日から実施した黄氏らのデモは続き、12月からは無期限ハンストを決行、香港政府に対話を求めるなど抗議活動を行いましたが、香港政府がこれを拒否し、2014年12月15日にデモは終了しました。実に79日間の闘いでした。黄氏は一連の占拠などの容疑で2015年1月に香港警察に逮捕され、同日釈放されました。

(写真キャプション)2016年の選挙において、史上最年少23歳で立法会議員となった羅冠聡氏は黄氏とともに雨傘活動のリーダーを務めた。最終的に雨傘活動では、政府から何の譲歩も引き出すことなく終結しました。しかし黄氏とともに学民思潮で活動し、スポークスマンとして「学生の女神」とも呼ばれた周庭氏は後のメディアへの取材に対してこう語っています。「雨傘活動は政治的には失敗しました。しかし香港の人々を政治に目覚めさせたという点では成功しました」。雨傘活動以降も、香港における民主主義運動は活発に行われています。2016年9月に行われた立法会選挙では、急進的な若者世代の躍進が見られ、雨傘活動を率いた学生団体リーダーも当選し6議席を獲得。黄氏は新党「香港衆志(デモシスト)」という政党を設立しましたが、立候補資格は満21歳以上というルールのため出馬することはできませんでした。しかし「反中国派」で30の議席を占め、法案を否決できる議員定数の3分の1を獲得することができました。他方、より過激に香港独立を主張する独立派に対しては、一部の立候補者の届け出が認められなかったり、当選したにもかかわらず議員資格をはく奪されたりという事例もあり、いずれも中国政府の圧力と見られています。香港の動きは台湾、マカオ、そして中国本土へも影響を与えかねません。香港返還から20年。その時代に生まれたSNS世代の若者たちが中国をどう変えていくのか、世界が注目しています。