イギリスの人気カリスマシェフ、ジェイミー・オリバー氏は日本でも知名度が高いので、ご存知の方もいるでしょう。1975年生まれ、フランスやイタリアで修業を積み、ロンドンのレストランで働く中でメディアにも登場するようになり、自身のレストランはもとより、レシピ本や料理番組などでも活躍、国民的人気シェフと言われています。2016年のイギリスの書籍売上は、あの「ハリーポッター」シリーズのK・ローリングに次いで彼が2位と言いますから、その人気ぶりが伺えます。甘いマスクと軽いノリで人気を博す一方で、実は社会活動家としての一面も持っています。
惨憺たるイギリスの食育事情に挑むジェイミー
私達自身はあまり意識していませんが、日本人は「食育」というものが、知らず知らずのうちに当たり前になっています。バランスの良い食事が大切なことは、未就学の子供ですら理解していますし、小学生になれば学校で適切な給食が提供され、その内容は献立表として家庭で共有されます。
しかしこれらが普通のことと思ったら実は大間違いで、同じ先進国でも、イギリスやアメリカではまるで異なります。新鮮な食材で調理された料理は家庭の食卓から消え、給食もジャンクフードにあふれ、悪しき食生活が生活習慣病を招いているという惨憺たる状況。5人の子の父でもあるジェイミーは「正しい食生活を広めることで、人々を幸せにしたい」という思いを抱いて立ち上がります。
ジェイミーの挑戦は、まず母国のイギリスで始まりました。イギリスでは約20年前に学校給食が民間に委託されて以来、質の低下が問題になっています。彼は学校給食の現場に乗り出しますが、現実は簡単にはいきませんでした。最初に乗り込んだ学校で遭遇したのは「手の込んだローストキチンよりも、チキンナゲットが美味しい」という子供たちと、「限られた時間と予算をそんな料理に割けない」という調理スタッフでした。
しかしジェイミーも負けてはいません。調理スタッフに対して、イギリス軍隊の厨房で、大量の料理がどのように効率的に作られているのかを実演したり、子供たちにはチキンナゲットが製造される工程(可食部分が取り除かれた鶏肉のカスをミキサーにかけ、薬品を混ぜたものをフライにする)を見せたり、と地道な啓発を続けます。
メディアから広がった27万の署名
これらジェイミーの取り組みで特筆すべきことは、メディアを有効的に使っていることです。30分や15分という限られた放送時間枠で1食分のメニューを作る番組が大ヒットするなど、メディアの寵児でもあるジェイミーは、社会活動にもこの特技を大いに活用します。
先に紹介したイギリスの学校給食に対する取り組みは「ジェイミーのスクールディナー」という題名で、4回のドキュメンタリーとして放映されました。子供たちの健康が憂慮される内容は大きな反響を呼び、学校給食の改善に賛同するネット上の署名が27万人分も集まり、最終的にはブレア首相(当時)が改善の措置を約束するに至ったのです。実際に給食施設の建設費用が予算化され、揚げ物の提供回数の制限や、ジャンクフードの広告に関する自主規制制定など、イギリスの社会に大きな影響をもたらしました。さらに数年後の大学の研究では、給食を改善した地域の子供たちの学力が向上したという報告もあります。
ファストフード天国、アメリカへ
ジェイミーの次なる挑戦の舞台は、世界でもっとも食生活が乱れているアメリカでした。ファストフードやスーパーマーケット、加工食品メーカーの聖地であるアメリカにおいて、インスタント食品に反旗を翻すことは、決して容易なことではありません。しかしウェストバージニア州など、食生活の数値の悪い地域に乗り込んでの啓発活動を続けていきました。
2010年、これらの活動が評価され、世界でもっとも共有すべきプレゼンテーションを選ぶ米国のTEDにおいて、ジェイミー・オリバーの「子供たちに食の教育を」が表彰されました。この影響力のある最高の舞台でも、ジェイミーはプレゼン能力を如何なく発揮します。
3分の2の人が肥満であるとか、数分に1人が食生活に起因して死ぬとか、そういう統計的なものだけでなく「この16歳の少女の寿命はあと6年です」、「この子は祖母にも母にも料理をしてもらえませんでした。体重は100キロです」といった個々の事実を、写真とあわせて紹介する彼のスピーチは、衝撃以外の何物でもありません。
荷車に山盛りの角砂糖を引いてきたかと思えば「アメリカの学校給食で出される牛乳には、砂糖とフレーバーが混ぜてある。5年間摂り続けるとこれだけの量だ。虐待だと思いませんか?」。
後世にまで語り継がれるであろうTEDのスピーチで、ジェイミーはアメリカで活動を始めたときに考えたことについて、こう語りました。「僕に魔法の杖があったら、アメリカの最も素晴らしい実力者たちを前にして立ちたい。そう願ったら1ヵ月後にTEDから電話があって、この賞をもらうことになり、この場にいるのです」。
圧倒的な知名度を持つカリスマシェフという、食育を行うのに余人をもって代えがたい存在であることを自覚し、メディアを巧妙に使った啓発や、人を惹きつけるプレゼンを続けるジェイミー・オリバー氏。専門分野を持つ著名人はかくありたいと思える事例です。